GROWIN UP! VOL.1

偏差値40台の僕が慶應に入り、ラグビーのレギュラー選手として活躍するまで

2021年度法学部新3年

鬼木 崇

Takashi Oniki

2年間の浪人生活を経験し、いま慶應ラグビーで黒黄のジャージーを着て活躍する選手がいる。法学部法律学科の新3年、鬼木崇(福岡・修猷館)。一時は絶望の淵に立たされたが、猛勉強の末に合格を勝ち取り、現在は勉強と練習に明け暮れる文武両道の忙しい毎日を送る。そんな彼は、慶應ラグビーを目指すすべての高校生や浪人生たちにこんなエールを送る。「高校日本代表でも無名選手でも、慶應は平等に評価してくれる。あきらめないで」と――。

Text by 小川裕介
Photograph by 田口恭子(慶應ラグビー倶楽部)

 鬼木が慶應への進学を考え始めたのは、高校生になってからだった。通っていた福岡県立修猷館高校は慶應OBも多く、蹴球部(ラグビー部)でも元日本代表の山本英児らがいる。OBに話を聞き、勉強と部活を両立できる環境や、上下関係がゆるやかで誰でも意見が言い合える部の雰囲気にも惹かれた。170センチに満たない小柄な自分でも、チャンスが与えられるかもしれないと考えた。

 もともと根っからの負けず嫌い。幼いころ、初めての試合では、いきなりタックルで相手を倒し、ラグビーにのめり込んでいった。当時から、自分より大きな選手の足首をめがけ、タックルしていた。
「慶應は、選手層の厚い早稲田や明治に対してディフェンスから勝機を見いだすチーム。修猷館は、いつも王者の東福岡に挑戦し続けており、似たようなチームだと思っていました。常に強者に挑戦するチームで、ラグビーをしたかった」
 攻撃面も光っていた。高校時代、一緒にプレーした川野智希は九州大会予選で、鬼木が2、3人を抜き去り、決勝トライを決めたのを鮮明に覚えている。
 「グースステップを用いて相手を抜いていく彼は僕たちのエースでした。性格も、場の空気や人の気持ちを理解できる、優しい人間。その場の雰囲気を和ませ、時には盛り上げながら、自分の意見もきちんと伝える彼を、僕は心から尊敬していました」

 鬼木が慶應を選んだのは、幼少期からの同期のライバルの存在も大きかった。同じ修猷館で、LO下川甲嗣が早稲田への入学を決めていた。
 「僕が慶應に入って、下川のいる早稲田を倒したいと思っていた」

 ただ、慶應にスポーツ推薦はない。湘南藤沢キャンパス(SFC)のAO入試も、ラグビーなどの部活は評価材料の一つで、高校時代の学力やさまざまな活動、社会課題をどう解決したいかなど、多面的な評価がなされる。
 現役では、AO入試や一般入試を受けたが、すべて不合格。地元・福岡で浪人生活に入ることが決まった。

 1浪目に最初に受けた模試では、まさかの「E判定」。偏差値はトータルで55だった。しかも、主要科目の英語は46。
 「これは、やばい・・」
 本腰を入れて、勉強を始めた。
 福岡の予備校に通い、朝の開館から夜の閉館まで勉強した。5分間の風呂、食事やトイレの約1時間をのぞいて、1日最低15時間は勉強に費やした。もちろん、行き帰りの電車の時間も勉強にあてた。SNSも絶ち、風呂に入るときだけスマホを使うことにした。
 最後に受けた模試では、「C判定」を得るまでになっていた。

 そして入試本番。慶應のいくつかの学部を受験し、とくに文学部は手応えがあった。
 これならいけるかもしれない――。
 だが合格発表の日、自分の受験番号はなかった。大学に成績の開示を求めると、たった1問分だけ、合格点に届いていなかった。
 
 およそ12時間、自室に引きこもって泣いた。泣いても泣いても、涙が止まらなかった。
 「120%やりきってもダメなのか。俺にはどうしても届かないのか。高校時代、もっと勉強しておけばよかった・・」
 
 併願として受験した関西の強豪校には合格しており、そちらに行く選択肢もあった。
 もう自分には慶應へ行くのは無理かもしれない。これ以上、親に負担をかけるわけにもいかない。
合格したそちらの大学に行こうかと両親に相談すると、母に言われた。
 「本当に行きたいの?」
 
 答えは明白だった。
 高校時代、慶應が練習する日吉のグラウンドを見学に訪れた際、対応してくれた先輩たちの姿が脳裏に焼き付いていた。ラグビーには厳しく、グラウンドを離れれば優しい。初対面でも親身になって話を聞いてくれ、こんな風に自分もなりたいと思った。
 「自分はずっとチャレンジャーのチームで戦ってきた。上位校を食うチームでどうしてもラグビーがしたい」
 父も背中を押してくれた。
 「お前がラグビーをする姿をもう一度見たい」

 2浪目は、まさに背水の陣だった。
 故郷の福岡を離れ、下宿しながら東京・池袋の河合塾に通った。慶應の合格者数が多いのが、選んだ理由だった。1浪目は長時間にわたって勉強することにこだわったが、2浪目は時間に加えて集中力を高めることも意識した。1日12~15時間を勉強にあて、集中できないときは近くを散歩するなどして気分転換した。
盆も正月も福岡に帰らず、東京にとどまって机に向かった。手元には、1浪目の入試の開示書類を机に潜ませ、あの悔しさを忘れないようにした。

 スマホは使わなかった。1浪目のときに、風呂で水没させてしまい、それから「友達と連絡をとっても引け目を感じるだけ」と絶つことにした。世の中は動いているのに、ただ自分は勉強している。結果がどうなるのかもわからないけれど、自分はただ1人、故郷を離れて慶應をめざしていた。

 結果はついてきた。その年の秋に受けた模試では、偏差値が70台に達していた。
 英語70、国語66、日本史78。
 早慶オープン模試では、全国6位を記録した。堂々の「A判定」だった。

 そして3年目の本番。無心の自分がいた。
 法学部、商学部、文学部・・。受けた学部はすべて合格していた。
 結果を知ると、寮で1人、泣いた。1年前の涙とは違う味だった。自然とあたたかい涙がぽろぽろとこぼれてきた。
 「正しい方向へ向かって、適切な努力をしていく。そうすれば必ず結果はついてくる」
 2年間の浪人生活で得た、かけがえのない人生訓だった。

合格旅行のオーストラリアにて

 鬼木は入部後、2年間のブランクのため、周囲に追いつくには時間がかかったが、焦ることはなかった。ウェイトトレーニングやフィットネスなど、目の前のことを積み重ねれば、必ず結果はついてくると確信していたからだ。何より大好きなラグビーを思い切りできる環境が目の前にある。負荷のかかる練習も、あの浪人生活を思えばきついとは感じなかった。
 「一定の伸びしろで成長できれば、みんなに追いつけるのではないかと思っていました」

 監督の栗原徹は、入学時から鬼木への期待は大きかったが、焦って結果を求めることはなかった。
 「色んな奇跡が重なって、いま鬼木は慶應にいる。長い目で見て、大切に育てないといけないと感じていた」
 栗原の見越した通り、2年目の昨シーズンに鬼木は覚醒した。1年目はミスも目立ち、首脳陣の信頼を勝ち得るまでには至らなかったが、もともとスピードや鋭いステップなどによる突破力、ディフェンスに定評がある。2年目は、ゲームへの理解力が加わり、生来の野性味も増した。

 栗原は、昨シーズンの立教大学戦で、鬼木をスタメンのSOに抜擢した。コーチ陣も驚く起用だったが、栗原はインスピレーションを貫いた。結果は78-5の勝利。11月の早稲田戦にも先発で出場し、ライバル下川とのマッチアップを果たした。

 栗原は言う。「プレッシャーがかかると、どうしても選手はセーフティーなプレーを選択してしまいがちになる。でも鬼木は『負けてない状況』を作るのはではなく、一つ一つのプレーで『勝っていく状況』を作れる。逆境を味わったからこそ、効率よく前に進める方法を体得したのかなと思います」

 鬼木は慶應に入ってからの2年間を少しの驚きを持って受けとめている。
 「こんなにも早くチャンスをもらえるとは思っていませんでした。1年目でまず体重やフィットネスをつけ、2年目で上のチームに絡む、3年目で上のチームで活躍するようなイメージでいました」

 入部して2年ほどが経ったいま、鬼木は慶應ラグビーをどう見ているのだろう。
 「慶應は先輩、後輩関係なく、フラットに自分の意見を主張できる。もちろん厳しいところは厳しいけれど、やりたいようにやらせてくれるし、全部を受けとめてくれる。寛容な雰囲気があります」
 「慶應には、やはりチャンスは平等にありました。努力すればチャンスはみんなにある。先輩や後輩との関わり合いで学べることも多く、いろんな人から応援して頂ける部活でもある。とにかく人間的に成長できると感じます」

 3年目の今シーズンは、ディフェンスリーダーの1人に抜擢された。
 監督の栗原が評価するのは、プレー面はもちろん、そのチャレンジし続ける姿勢だ。
 「部員たちはみんな心の奥底に、熱いものを持っている。ただそれを、自分で十分に引っ張り出せない子もいる」。鬼木には、部の起爆剤としての役割も期待されている。

 かつてのライバルたちが社会に出る今季、鬼木は3年目のシーズンを迎える。169センチ、78キロと決して大きくない体だが、鬼木がボールを持つと何かが起きるのではないかという期待感がピッチには醸成される。逆境を自らの力で乗り越えてきた経験が、鬼木に絶対的な自信を与えている。
 「必要以上に自分を大きくも小さくも見せる必要はない。そのままの自分を出して、正しい方向へ適切な努力をしていく」
 生粋のチャレンジャーの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

 (敬称略)

Message

応援してくれる方々からのメッセージ
父・亮さん、母・賜子さん
考え方・姿勢に大きな成長

 2浪目に入る際には、親としては本人の「何としても慶應へ行きたい」という熱意を尊重すること、側面から応援することしができませんでした。根拠はありませんが、次は必ず合格するという確信はどこかにありました。2浪目は東京の予備校で過ごし、盆・正月も一度も帰省することなく過ごしました。合格した際には、本人の志と努力が成した結果を受け、家族で嬉し泣きしたことを覚えております。

 蹴球部は、歴代の先輩方々が築き上げてこられた歴史・伝統が脈々と受け継がれており、監督・コーチ・スタッフ・OBの方々より親では教えることの出来ないものをラグビーや集団生活を通じ教えていただき、素晴らしい経験をさせていただけるところが1番の魅力と感じております。

 息子の成長にも正直驚いております。物事の考え方、進め方、取り組む姿勢が変わったと思います。目標にむかってのアプローチ、準備することの大切さなど、ラグビーだけにとらわれず、人間形成においてもとても大切なことを学ばせて頂いていると感じております。

高校時代の友人・長下賢史さん
昨年の慶早戦、信念を感じた

 高校1年からの付き合いですが、現役時代はラグビーに打ち込み、勉強をしている様子は全くありませんでした。それが、浪人を始めると人が変わったように勉強に打ちこみ、まるで高校3年間分の勉強を3倍速でしているかに見えるほどでした。 高校時代は食事を摂るのが非常に遅かったが、浪人時代は食事も3倍速で摂り、勉強時間を少しでも作ろうとしていたほどでした。

 私自身はラグビーをしていたわけではありませんが、周囲のラグビー部の友人の話を聞いて、彼が非常に優れたプレイヤーであることは知っていました。しかし、実際に彼のプレーを見ると、素人ながらに圧倒されるものがありました。昨年の慶早戦で、下川と2ショットで映っている姿は、共に浪人していた時から彼が信念を曲げずに生きてきた証であると感じました。

「忙しくてなかなか会えんけど、修猷のみんなと一緒にいつも応援しとるけん、グラウンドでかっこいい姿を見せて欲しい」

高校時代の友人・川野智希さん
ともに切磋琢磨、さらなる高みへ

 浪人時代、彼の成績の伸びには大変驚かされました。僕も浪人していたため、お互いに模試の成績を見せ合い、切磋琢磨していました。通っていた予備校が違ったため、鬼木くんの勉強の様子は直接は知りませんでしたが、模試からわかる彼の成績の伸び、特に英語に関しては、医学部を志望していた僕も嫉妬してしまうほど素晴らしく、「崇も頑張っているんだな。俺ももっと頑張らなければ」と思わせてくれ、僕を含め共に勉強に励む友人に良い影響を与える存在でした。

「慶應でラグビーをする」、「早慶戦に出る」といった夢を叶え、そしてさらなる高みを目指し努力する鬼木くんの姿は、受験時代と同じく「崇も頑張っているんだな。俺ももっと頑張らなければ」という思いをいつも僕に与えてくれます。
 鬼木くんのラグビー姿にいつも励まされているので、怪我に気をつけてこれからも頑張ってください!